生涯の安心と生きる喜びのあるまちづくり

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暮らすためのまちづくり

地域に根ざし、農業でまちづくり。新たにこの地で暮らしていくための支援として、農業生産者組合を立ち上げ、蔵王ブランドの農作物を生産する取組を行っています。

農業生産者組合「蔵王夢づくりの会」~産直市場開設~

  • 蔵王夢づくりの会
    産直市場

  • 産直市場
    店内の様子

  • 株式会社いたがき様との連携により実現した
    三越・駅ビルでの販売

赤の情熱と緑の決意を持つ男たち

蔵王山霊から創出される、エフぶんのいちのゆらぎと、この地が持つ底知れぬパワーの源に引き寄せられ、それがまるで以前から定められていた流れかのごとく、至極自然に宮城蔵王に集まった2人の男たち。彼らがこの場所で何を思い、そしてこれから何をしようとしているのか。宮城蔵王に根付き、自分らしく日々を過ごす彼らの暮らしをご紹介したいと思う。

赤の情熱 × 緑の決意

赤の情熱 イチゴ農家になりたい、情熱が実現する生産者への道。

庄子重靖。彼は今、大きな人生の岐路にたっていた。これまで20年間務め上げてきた商社を退職し、今年からイチゴ農家を始めのだ。晴れた日には蔵王山霊を見渡す事ができる絶好の場所に自分の畑を購入し、最初に建てた栽培用のハウス1棟で育苗を行いながら、収穫に必要な残り3棟の建設を急いでいた。彼は今、農業という新世界に第一歩を踏み出している。詳しい知識や経験もなく、脱サラしてのゼロからのスタート。ここまでたどり着くまでにも相当の苦労があったが、自分の農地が整っていき、ハウスが建設される、そんな自分の夢が実現されていくことをその目で目視するたび、これから農業生産者として成り立っていけるのだろうか、家族を幸せにできるのだろうか、という次なる不安も大きくなってきた。だがしかし、その不安を大きく上回る充実感と楽しさがここにはあると彼は思っている。それは自分の力で掴みとった新しい生活の中だからこそ感じることのできる開放感と、生きているという実感。イチゴ農家になりたいという真っ赤な情熱は、自分の農地とハウスという形になり、今まさに創られている真っ最中だ。

これから2棟目の建設が始ろうとしている農地にて。

赤の情熱 宮城蔵王で見つけた、自分らしくいれる場所。

彼の宮城蔵王との「縁」は、奥様が蔵王町出身だということから始まっている。しかし、最初から蔵王町でイチゴ農家をやろうと決めていたわけではなかった。転身の準備の中で一番苦労したのが良質な畑探し。様々な場所を検討し一時は海の近くでという計画もあったが、思うような土地が見つからず決めかねていた。そんな時、彼のもとに朗報が舞い込む。奥様の知り合いから、蔵王町の畑を譲ってもいいという話があったのだ。また、蔵王町では農業支援を積極的に行っていて、認定農業者制度という支援政策が活用できるという後押しもあり、彼は宮城蔵王で農業を営む決断をした。農業への転身を決めてから動き出した生産農家への道は、様々な出来事を経て自然と宮城蔵王へとむかっていき、妻の出身地だからという事以外に、なにかこの地に惹きつけられ、自分が呼び寄せられたのではないかと彼は感じていた。自分が生きる場所は「ここだ」と導かれたかのように。

今は美味しいイチゴを作るための大事な土台作りのとき。

赤の情熱 家族と、仲間と、情熱と。

もし仮に、宮城蔵王で同じように農業を営みたいという人がいたら、迷わず勧めたいと彼は思っている。そのくらい今の自分が、自分らしく、企業に属していた時には味わったことのない開放感と、日々の充実があるからだ。もちろんゼロからのスタートでここまでたどり着くには、かなりの苦労があった。だからこそ、これから新たに集まってくるであろう仲間たちに、自分のこれまでの経験を活かして還元していきたいと彼は考えている。イチゴ農家をやりたい、という夢を実現した彼が次に描くもの。それは、この地に新たな力とコミュニティが生まれ、この土地の文化と融合し、これからの農業を共に創っていくこと。 彼には3歳になる娘がいる。その子の名は「いちか」ちゃん。漢字にすると「苺」に果実の「果」で苺果と書く。まるで我が子を抱くような優しい眼差しと丁寧な手さばきで苺の苗を手入れする彼の姿には、そんな未来を見据えた新しい真紅の情熱が見える。

イチゴの苗を我が子のように大切に育てていく。

よく農園に遊びに来るという愛娘の苺果ちゃん。ハウス内には親子のサンダルが仲良く並んでいる。

緑の決意 ものづくりの追求と宝物探し。

鈴木寿幸。彼はその日、自分の仕事場であり、アトリエでもある「リフレッシュファーム みやぎ蔵王 森の楽園」でキャンピングカーを作っていた。内装から外装まで全て手作りで製作する計画だ。宮城蔵王で山菜農園を営むほかに、チェーンソーカービング(アート)の第一人者という顔を持つ彼であるが、今日はキャンピングカーを作っている。その共通点は「ものづくり」創作対象が山菜であっても、チェーンソーカービング(アート)であっても、今日のようにキャンピングカーであっても、ものをつくるという技術、知識への渇望が力となり自分を動かしているのだと彼は考えている。そんな表現者としての自分が活きる場所がこの宮城蔵王なのだ、と。子供の頃から山と親しみ、自然とともに生きてきた自分だからこそ、今ここに存在する山林や草葉の中で、いったい何を生み出し、活かしていくことができるのか。彼は、そんな自分が生きる意味にも似た、大きな宝物を探している過程なのだ。

鷹をモチーフにしたチェーンソーカービング(アート)

緑の決意 宮城蔵王で唯一無二の特産品を。

行者にんにくを大切に扱いながら真剣な眼差しで状態を確認。

宝物探しをしている中で、彼がここ数年、着目して取り組んでいる山菜がある。それは「行者にんにく」。彼は「行者にんにく」を宮城蔵王の特産品にしたいと考えている。それには大きな理由があった。ギョウジャニンニクという名前の由来は、山にこもる修験道の行者が食べたからといわれている。その修験道「役の行者」が勧請した「蔵王大権現」ゆかりの地であり、このことが町の名称の元になったともいわれている蔵王町で「行者にんにく」を生産してこそ、他では生み出すことのできない唯一無二の特産品になると考え、自らの農園で栽培し販売を行っているのだ。行者にんにくは、種を植え付けてから少なくとも3年程度は収穫することができないが、その後は安定して生産することが可能だ。彼は行者にんにくを、手軽に食べられる新鮮な野菜がその辺に生えている、という感覚で捉えているが、つまりそれは、行者にんにくが栽培しやすく汎用的で強い食物であることを意味する。「行者にんにく」は、(収穫できる時期になれば)農地から引き抜くだけで収穫ができる手軽な野菜であり、加工することなくそのまま食べることのできる新鮮野菜でもある。そのため高齢者や農業未経験者でも栽培が比較的簡単で、もしかしたら、「行者にんにく」が未来の食の救世主になれるかもしれない、と彼は考えている。その土地の環境に応じて順応した食材を生産し食べることが、これからの農業や宮城蔵王にとって大きな武器になる、と見据えているからこその取組だ。

緑の決意 温泉デルタ地帯に生まれたリフレッシュファーム。

峩々温泉、青根温泉、遠刈田温泉、この3箇所の温泉源に囲まれた温泉デルタ地帯の渓谷に「リフレッシュファーム みやぎ蔵王 森の楽園」がある。蔵王の「お釡」を水源とするにごり川沿いということもあり、森の楽園と称されたこの場所は都会の喧騒とはまるで違った水木の音が響く癒やしの空間。その中で彼は日々、山菜を育て、木材を使ったアート生み出し、キャンピングカーを作り上げている。彼のものづくりは、食・アート・自然・音・空間と多彩で、まさに森のオアシスだ。今後は、この地を中心にした観光農業を積極的に展開し、自分で収穫した山菜をその場で食べてもらうことや、温泉デルタ地帯の自然に触れて心身の癒しにしてもらえるような空間づくりを行っていく予定だ。

彼は今日も、自分らしく生きれる場所であり、活きる場所である宮城蔵王というパワースポットで、行者にんにくを宮城蔵王の特産品として発信し、癒やしの空間に人々を招き入れる。形やスタイルは違えど、ものをつくり、広めていきたいという共通した強い信念が彼を突き動かしているに他ならない。その活動は、宮城蔵王に住まう様々な立場の人々とも共鳴し合い、さらに大きな意思となり、日本全国へと広がる。彼が胸の中に秘めている、表現者であり続けるという強い決意と、宝物探しの旅はこれからも続いていくのだ。

訪れた方々によりリラックスしてほしいという思うを込めた東屋前にて。

この夏に完成したキャンピングカー。初の旅行では、たくさん蚊に刺されたことも家族のよい思い出づくりになっているという。